なぜ今Libretto20/30なのか?

 これまで数多くのLibrettoが世に出てきた。しかしLibretto20/30というLibretto創生期のマシンは特別な意味があり、実際思い入れが違う。SSだ、ffだ、と進化はしたがはたしてそれに応じてLibretto売り上げは伸び悩んでいる。これは灰色のLibrettoに対する憧れであり、温故知新という言葉の意味をかみしめた時にわかる何かがそこに介在するからに他ならない。これを書いている僕自身、数々のLibrettoを手にしてきたが、未だに一台のLibretto20改を大事に使い続けている。これはモノへのこだわりであり、執着であり、愛情である。
 また最近のパソコン事情を考えてみても、Libretto20/30でとくに困ることがあるようには思えない。メールとブラウザだけでほとんどの場合、事足りる。加えてデジカメの画像が加工でき、さらにHDDを換装したうえでGPSに使用するということも可能である。はたしてこれだけのことが可能なのにこの期におよんで何が困るというのか?
 確かにLibretto20/30は音が出ない。しかし、かといって音が出ないから使えないマシンというわけではない。音源カードも探せばないことはないし、実際音がなくても困らないことは多い。Windowsの起動音が聞こえなくても誰がそれに文句を言うだろう?自作機のファンを取り外してまで静寂を求めるユーザーがいるこの世界で音が出ないということが(それでもシステムビープ音は出る)それほど大きなハンデキャップではないことがわかる。
 ノーマルのLibretto20/30はそのままで快適に使えるとは言い難い。メモリを増設し、HDDを換装することでようやく使えるレベルに到達する。しかしそのステップが何にも増して心地よい。そして自分のマシンであることを実感させてくれるのだ。車で言えばまるで古い中古車をレストアするような感覚。ちょうど峠の走り屋がハチロク
(*注1)にずっと乗り続けるような感覚がそこにはある。ノーマルでは確かに遅い、しかしそれを自分なりにカスタマイズすることで峠という場所では自分の走りをすることができる。そのための改造、そのためのカスタマイズなのだ。そしてカスタマイズされたLibretto20/30は今まで以上に大切なマシンになるはずである。
 これからもずっとLibrettoを使っていきたい。そんなLIBRERのためにこれからもずっとこのページを作っていきたい。

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